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Sexaholics Anonymous
セクサホーリクス・アノニマス

新しくSAにつながった仲間へ

セックスアホーリクス・アノニマスで回復を続ける仲間たちは、同じ問題が原因ではあるが、それぞれが異なった状況に追い込まれ、ここに来ざるを得なくなった。私たちのうちある者は社会でいわれているようなステレオタイプの「セックス中毒者」であったが、そうした型に当てはまらない人もいた。ある仲間は風俗店や街路で堂々と売買春に手を染めていたが、別の仲間は酒場やクラブ、ネット等でひっそりと情事の相手を探し求め続けていた。自身の行動が痛ましく、自己破壊的である現状を承知していた人もいたし、特定の、或いは継続的な相手との不健全な行為に執着し、時間や金銭、体力を浪費している自分に気づいている仲間もいた。私たちの多くは自己の妄想に執着したまま、強迫的マスターベーション、ポルノの視聴、フェティシズム、のぞき、露出行為が止まらなくなっていた。仲間のある者は他人を犠牲にし、また私たちの多くは自分の抑えがたい欲望が原因で、家族、友人、職場の同僚を巻き込み、被害を与えてきた。しばしば、自らの意に反し自分がしていた行動(それが何であれ)を自分一人ではやめられないと感じていた。

SAグループに辿り着いて、表面に現れる行動の違いこそあっても、性的な渇望からくる強迫症における共通の問題を分かち合い、概ね性への強迫的な、ある種の欲求を共通点にして結びついた。心の内でお互いを同じ病を持つ仲間と認めてきた。問題の詳細が何であれ、罪悪感、怖れ、孤独に苛まれ、霊的に瀕死の状態だった。共通の問題を分かち合えるようになったとき、同時に自分たちのための共通の解決法があると分かるようになった。それは性的なしらふと呼ぶ状態に基づいて、仲間の中で実践される回復のための12ステップである。

性的なしらふの定義は、私たち性依存症者にとって、かつてSAにつながった原因である痛みから自由でいるために、必要かつ基本的な意味を持つ。他は何も効果がないと分かった。性に依存する人たちに共通する経験が、自分に何を教えてきたのかについて否認しようとして、回復を巧みにかわしている自己に気づいた。男性であろうと女性であろうと、既婚であろうと独身であろうと、自分の問題行動が、同性に対して向けられようと、異性に対して向けられようと、人間関係が、意義のある、深いものになろうと、一夜限りのものになろうと、あるいは、「自然な欲求のはけ口」としてちょっと自分とのセックスに頼っただけに過ぎずとも、この事実は動かなかった。アルコホーリクス・アノニマスの仲間は、50年以上にもわたって「中途半端は何の役にも立たない」現実を学んできた。

私たちは、性的にしらふでいる状態の全ての波及効果を理解しているなどと主張はしない。SAメンバーのある人々は、性的にしらふでいることが魂のより深い奥底で重要な意味を持つと信じるようになり、同時に別の仲間たちは単純に自分ひとりでは、おそかれはやかれ「巧妙で、不可解で、強力な」性的渇望に呑み込まれてしまうので、同じ問題を持つ仲間と一緒にいて、何が一番重要かを明確にし続ける生き方に頼っている。私たちはまた、しらふの生き方だけが喜びにあふれた回復を続ける未来につながるだろうとも主張したりはしない。ただ自分たちにはアルコール依存症者と同様、心の深い場所に置いてしらふであり続けねば、「平静」ではいられない現実があるだけだ。さらに、性的にしらふの自分を得れば、直ちに気分が良くなるだろうなどと主張する気もない。ただ他の依存症と同じく、やめようとして必死になる症状を経て、ようやく「薬」を手放すようになった過去を持つだけだ。疑念、葛藤、混乱に陥ってもなお、必死になってやめようとしてきた経験で、性的にしらふの生活は私たち自身がこれまで決して味わうことのできなかった幸福と解放の喜びに向けた真実の「鍵」だと気づいた。これが、私たちがSAミーティングに来続ける理由だ。

SAには解決がある。この解決は全ての人に必要だとは主張しないが、少なくとも性依存症者にとっては効果がある。あなたが性に依存してきた私たちと同じ問題を分かち合いたいと思うなら、私たちは是非あなたと解決を共有してゆきたいと思う。